序にかえて~勇気の話~

ITJapan Co.,Ltd. CEO Tadanobu Kinoshita

2004/03/01 10:01 - www.itj.jp

私は大阪の総合商社に6年ほど勤めた後、ITソリューション(主にソフトウェア・ネットワーク関係)を極めるために独立した。これから起業を志す方々にとって、ここに書かれている事が少しでも足しになれば幸いである。私は起業手続きの専門家ではないので、質問は無料なので何でも聞いてくださってOKだ。

この序論のテーマは唯一つである。「幸せな人生とは何か」。この問いに答えを出すのは並大抵の事ではないが、少なくともこれから起業を志す方々にとっては深く考えるべき問題の一つだろう。
サラリーマンなら、基本的には毎月給料が出て、ボーナスもある。家庭を持つ人は、それにより家族を養う。ひとり身の人は 、一人暮らしや実家の違いはあれど、使い道は自分の考えひとつで自由にできる。家庭人でも独身でも、会社やプライベートにおいて様々な不満はあろうが我慢できないほどではなく、どちらかというと例えささやかにでも幸せなはずだ。
では…それで 充分ではないか? 起業は本当に大変だ。勇気とエネルギーがたくさん要る。 どんなに最高の能力を持つサラリーマンでも、起業して成功するとは限らない。そもそもプレッシャーに天と地の違いがある上に、求められる能力や耐えなければいけない部分が全く違うのだ。
サラリーマンでも成功すれば収入はそれなりに上がるだろうし、会社をバックに仕事した方がやりやすい事も多いはずだ。無理して起業のような大変な道を選ぶことに、一体どれほどの意味があるのか?失敗したら失うものは、決して小さくはないはずだ…。

『自分なら大丈夫 』 『 自分は人より運が良い 』…これは人間ならほとんど誰もが普通に持っている、自分だけは大丈夫(もしくは特別)理論だ。人生を経て身に付くものではなく、どちらかと言うと生まれつきもっている本能に根ざしたもののように思われる。
この理論を本能で持っていないと、人間ぐらい注意深く賢い生き物は、危険な事や困難な事に(色々ともっともらしい理由をつけて)挑戦しなくなる。「自分だけは大丈夫」と本能のレベルで感じられるからこそ、誰が見ても無謀な事にも(別に起業の事を言っているわけではない)、意外と平気で突っ込めるのである。その結果、成功して人類にとって大きな前進になるような宝を掘り当てることもあれば、犬死にに近い失敗も勿論ある…統計を取った訳ではないが、おそらく失敗の方が遙かに多いと思う。

理由は簡単だ。「自分だけは大丈夫」というのは思考の停止に他ならないからだ。
ひとつの物事について深く考え続けるのは大変だ。必ず答えが出るわけではないし、答えが分かっていてもそれから目を背けたい場合もあるだろう。大抵は根をあげて止めたくなる。その時、人は「自分だけは大丈夫」という本能を用いて考えるのをやめ、やみくもに突っ込んでいくのだ。 私が言いたいのは、だからこそこれから起業される方々は特に、これらの本能による思い込みや祈り、神頼みではなく、きちんとした理論に基づいて「最悪でも何とか大丈夫である」 「考えていた事が全て失敗しても何とか態勢は立て直せる」と、思考を停止させずに考えられるようになってほしいのだ。そういう意味では、人は臆病なぐらい慎重になれば良いのだ。
勘違いしないで欲しいのは、理屈ばかりこねて行動しない人になれば良いと言っているわけではない。目を背けたくなる現実に対して、深く考えれば怖くなって本能に頼りたくなるのは当然だ。怖いと思う事は悪いことでも何でもない。大切なのは最初に感じた怖れを克服しようと努力する姿勢だ。不安や怖れ、そういったマイナス要素をきちんと感じ、臆病になる事ができれば、それは感じることが出来なくなった人よりずっと満ち足りた人生のはずである。

最後まで逃げずに、深く考え続けられる臆病さは、もしかしたらこの世では「勇気」というのかもしれない。そして勇気を持って、あとは突っ走れば良い。深く考えれば、どこかで「カチッ」とスイッチが入る時が必ずある。そうなったらあとはやるだけだ。まわりの人に「何も考えていない猪突猛進」と言われようが何だろうが、自分の責任において精一杯突っ込んでいけば良い。

学生時代、何の責任もない立場で何でも言えたあの頃を、起業した今、それでも懐かしく感じている。 何にも知らないのに、世界や社会をあたかも何でも知っているかのように上の目線から語っていたあの頃。恥ずかしい思い出なんて、山のようにある。
今、どれぐらい成長したのかは分からない。ただ日々感性を高めて、過去も未来も、そして現在も一喜一憂しながら生きていくというのは、何とも幸せな事ではないだろうか。