サラリーマン時代のこと

ITJapan Co.,Ltd. CEO Tadanobu Kinoshita

2004/03/02 10:11 - www.itj.jp

兵庫県西宮市にある関西学院大学法学部を卒業してから、大阪の総合商社に入社した。22歳の春のことである。面接時にそこの社長に「若いうちは仕事を思いっきりやりなさい」と言われたので、単純な私は文字通り「思いっきり」やる事になった。

幼い頃からマイコン(当時はパソコンをこう呼んだ)を触っていたのでコンピュータには自信があったのだが、大学時代に軽音楽(バンド活動)に夢中になったので、今のパソコンである 「Windows(ウインドウズ)」の事がさっぱり分からなかった。MS-DOSの、あの真っ黒な画面に白いテキスト文字でマシン語やCで必死でプログラムを作る…という世界で止まっていたのである。
だから当初、会社は苦痛だった。パソコンが分からない。毎日モニタの前で吐き気を催し、帰りたいとばかり考えていた。

当時、その会社は変革の時期にさしかかっていて、社内の業務をパソコンを使ってシステム化しようとしている所だった。その業務に(なぜか新入社員の)私に白羽の矢がたった。パソコンだけでも覚えなければならない事ばかりなのに、この上社内のシステムまで構築しなければならない…。その会社は立派な中堅企業だったのだが、私が入社した1998年当時は日本中の全支店合わせてもパソコンは数台しかなく、ほとんどがオフコンやら、ワープロだった。
社員のパソコンに関する知識も ほとんどの人が皆無に等しい。しかも社風が結構ほのぼのしていて改革の心意気も乏しい…。何をするにも帳票や、紙がメインだった。パソコンに対する上司の反応もすこぶる悪い(コンピュータなんか駄目、人間同士の繋がりの温もりを大事に、とか)。ひたすら「紙」の文化が幅を利かせ、根性やら精神論主体の文化が幅を利かせていた時に、新入社員が全社的な社内システムを導入する…今よく考えたら、結構無謀な話である。

ただ目標ができたのはありがたかった。それを機に私の「思いっきりやる」会社生活が始まった。 休日も盆も正月もなしで、自分の全てを仕事に捧げた。 それから2年ほどで、会社から与えられたシステム化の任務はほぼ完成していた。年間経費約2000万円の削減にも成功した。一つの事を極めていくと、全体が見えてくるものである。私はその頃から どんな仕事をするにあたっても、 ①社長の視点 ②自分の上司&部下の視点 ③会社外(世の中&取引先&仕入先) …という様々な視点から 物事を捉えて進めていくことを覚えた。頭の中で何人かの人を同時にしゃべらせて結論を導き出すのは得意だった。 大学でやったディベートも役に立ったかもしれない。

 社内業務改革に成功した事で、会社内で私は一目置かれる存在になった。それは決して居心地の悪いものではなかった。不景気が叫ばれる時代の中、給料やボーナスもすこぶる順調に上がっていった。それは同期や他の同級生が進んだ大手企業と比べても明らかな差だった。社長やその他役員、部長の方々とも懇意に接していたので、 もしかしたら自分はこのままずっと勝ち組なのかもしれないな…と、そんな事も考えていた。

今考えても、そんな環境を与えてくれたその会社の社長にただ感謝である。最後は裏切ってしまった形になってしまったが、両親の次に尊敬している人物として迷わず名前を挙げたい。